台湾に残る日本建築の今~日本人が引き揚げて七十年を経過して
有名な話ですが、台湾はかつて日本でした。あれから七十年、当時日本人がいたところは現在どうなっているのでしょうか。今回は台湾で日本時代の建物を巡る旅にご招待します。

一番簡単に台湾の日本を感じられる場所は台北の青田街でしょう。地下鉄東門駅から程近いこの通りの周辺には日本家屋が多数残っています。木造家屋に黒い屋根瓦と、本当に昔ながらの日本そのものです。
この地域はかつて台北市帝国大学の教師などが住む日本人街だったそうです。現在では放置されているもの、何かを作るために改装中のもの、今も人が住んでいると思しきものなど状況は様々です。
建物は正真正銘の日本家屋ですが、庭にマンゴーの木が植えてあったりするのが台湾らしくて面白いです。
そんな青田街の中でも一際目立つのが青田茶館です。大きな赤い門だけは中国風ですが中は立派な日本のお屋敷です。
昭和初期に建設されたこの家は戦後長らく台湾大学の教授が管理していたそうですが、近年改装されて茶館に生まれ変わりました。様々な台湾茶を一杯から注文でき、また地元の台湾コーヒーも提供しています。
さらに青田茶館は広い館内を利用して数々の書画や焼き物などを展示しています。移り変わりの激しい大都会台北の中でここだけ時間の流れが遅いような気がしてきます。どうぞゆっくりくつろいでください。
さらに日本の面影をつよく残しているところがあります。桃園忠烈祠です。台鉄桃園駅から市バスですぐのこの施設は日本時代に建てられた桃園神社がそのまま残っているのです。
横木を一本外された鳥居をくぐり階段を上がると正面にまっすぐ参道が伸びています。本殿の手前に石碑が建っており、中国語ですが昭和初期に建てられたと日本の元号を使って説明しています。
左手には手水舎がありますが、水は出ていないようです。
右手は社務所で日本の神社の風格を何一つ変えることなく残していますが、中華民国(台湾)の国旗が掲げられており、やはりここは日本ではないのだと思い知らされます。
また社務所の奥は職員の宿舎になっており、外からでも畳や障子が見て取れます。今時日本国内でもなかなか見かけないような伝統あるたたずまいに驚かされます。
そしてもう一段高いところに堂々と構えているのが本殿です。もとは台湾で殉職した皇族の北白川宮能久親王や少彦名命を祀っていましたが、日本の敗戦日本より台湾を接収した中華民国政府がこうした日本的なものを全て禁止し、桃園神社も抗日戦争の英雄を祀る忠烈祠に変えられてしまいました。
日本と戦った兵士が日本的な風の神社に祀られているとはなんと皮肉なことでしょう。また本殿には鄭成功の像もあるそうです。(訪問時は本殿改装中のため見られませんでした)
こうして詳しく調べると台湾に残る日本建築は案外多いことがわかります。皆さんも日本家屋や神社を訪れて七十年前の台湾に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
台湾バナナ
台湾で果物といえばマンゴー、そしてバナナもわりと有名ですね。
このバナナ、台湾はフィリピンなどと違って、気候的には寒く、少し長めに時間がかかるそうですが、代わりにじっくり成長するため味、香りともに濃くなるのが特徴です。
実は、この台湾バナナは、日本の統治下でバナナ栽培を指導していたそうです。1924年になると、半官半民の台湾青果株式会社が設立され、台湾バナナの流通が担われていたそうです。
日本でも、バナナといえば輸入。台湾のものもみかけます。バナナはダイエット効果もあり、朝食におすすめです。
バナナは美味しく、栄養もあり、カロリーも低いので、私も朝バナナダイエットで食べています。
台湾の知り合いもバナナ工場で働いているので、ぜひ、エクアドルやフィリピン産だけでなく、台湾バナナも、もっと普及されることを願っています。
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